農業で生きていく事
そして農村の復権を目指して!

わたしの想い

杉ヶ沢高原

 灯油代もガス代も電気代も海外依存ばかりではもったいない!

そして人が生きていくには最も重要な食糧までも海外依存が進み、この国では食べれば食べるほどよその国にお金が流れていきます。まだ懲りないのかなぁ、「原子力は未来の明るいエネルギー」再稼働させて電気を賄う?

どうして豊富な山の資源に目を向けようとせんのだろう?

あちこちから水が流れています、しかも高いところから、どうして地域の電気を自給することをしないんだ?燃料として地域の山の木々を利用して先人は生きてきたではないか、いろり、くど、ふろを使い生活をして4ましたよね。

農村景観は地域社会で守っていかなければならないが、都市への流出で人が本当に少なくなって広々とした空間が広がっていくばかりですがグロバリゼーションの次にくるものに目を転じる時、来るべき時代の杉が沢高原の価値に気づかされます。それが自給圏構想のバックグランドとして最適の空間であると思われるのです、私達はこのことを確信して広く人材を受け入れます。 

地域の背景

杉ヶ沢高原は標高850m~770mに位置し、120~130ヘクタールあり兵庫県内夏場冷涼な気候、冬場積雪地帯で毎年1メートル越え北北東2.5キロ中瀬金山があり南南西1.0キロに天滝がある。かつては一帯徳川幕府の天領であったが明治新政府は分水嶺により町村界の政令を公布したが高原は水が轟側と筏側に流れていて、未だに一部筏に年貢を支払うという国内には存在しないであろう未解決の地域になっています。昭和41年兵庫県営開拓パイロット事業に取り組み93ha高原農地と開拓農道が完成し、夏秋大根の産地が形成されました。総事業費が1億800万円で地元負担は2割の2500万円は農林漁業金融公庫京都支店償還が平成6年まで続きました。昭和58年は栽培個数21戸で販売額において1億4千万円面積38haでした。
 昭和61年頃より但馬牛の振興をはかるという但馬畜産基地構想が大根組合にも行政より持ち掛けられて当時の農事組合法人轟組合が主体となり総事業費3億2千万円で地元負担6000万円の債務負担行為が課せられた利息は5.7%という内容で償還は平成23年3月14日までという事業でした。平成元年に15ヘクタールの大規模な造成工事進められて、牧草畑は完成したのですが、大根の栽培には不向きで10a当たり3.4万円で大面積に取り組んだ農家は次々に脱落していき、自殺者も片手では足りませんでした。一年の償還金は660万円で行政の力添えもあったのですが最終償還金は1億2000万円を超え、よくも守り切ったと開拓に取り組んだ過去の記録をなぞります。
 現在開拓2世が2人、平成12年に受け入れた新規就農者2名、3世が1名、きめいさんグループで4名が杉ヶ沢高原で農業をしています。

農事組合法人轟組合 きめいさんグループ代表
森下 常昭